争いは正しいことの押し付け合い
誰も「悪」だと思っていない
大きな戦争から、日常の小さな喧嘩まで。すべての争いに共通することがあります。どちらも「自分が正しい」と信じているということ。
自分を守るため、正義を実現するため、相手のため、真実を伝えるため、間違いを正すため。どちらも「悪いことをしている」とは思っていない。むしろ、正しいことをしていると確信しています。
そこに、争いの本質があります。
「正しさ」という武器
「私が正しい」という確信は、最も強力な武器になります。なぜなら、正しいと信じているとき、人は疑問を持たなくなり、相手の言葉を聞かなくなり、自分の行動を正当化でき、罪悪感を感じなくなり、どんな犠牲も「必要なこと」だと思えるからです。
「正しさ」は、暴力を正当化する最も危険な言い訳になるのです。
誰の「正しさ」なのか
問題は、「正しさ」が絶対的なものではないということ。立場が違えば正しさも違う、文化が違えば正しさも違う、時代が違えば正しさも違う、経験が違えば正しさも違う。
あなたにとっての「正しさ」は、相手にとっては「間違い」かもしれない。相手にとっての「正しさ」は、あなたにとっては「受け入れがたいこと」かもしれない。
でも、どちらも嘘をついているわけではない。ただ、見ている世界が違うだけです。
押し付け合いの構造
争いが起こるプロセスは、こうです。
- 「私たちが正しい」と確信する
- 「相手は間違っている」と決めつける
- 「正しさを教えてあげなければ」と思う
- 相手が聞かないと「頑固だ」「愚かだ」と判断する
- 「力で分からせるしかない」と結論づける
これは、あらゆる場面で起こります。夫婦喧嘩、親子の対立、職場の衝突、SNSでの論争。すべて、「正しいことの押し付け合い」です。
「正しさ」の罠
罠1:正しければ何をしてもいい
「自分が正しい」と思うと、相手を傷つけることさえ正当化してしまいます。「相手のためだから」「正しいことを教えているだけだから」。でも、相手は傷ついています。
罠2:対話が成立しなくなる
「私が正しい」と確信している人は、相手の話を聞きません。聞いているふりをしても、心の中では「でも私が正しい」と思っています。対話ではなく、説得。理解ではなく、論破。これでは、溝は深まるばかりです。
罠3:自分が見えなくなる
「正しさ」に固執すると、自分の間違いや限界が見えなくなります。「私が正しい」は「私は完璧」ではないのに、そう錯覚してしまうのです。
罠4:人間性を失う
「正しいこと」のために、人を傷つける。「正義」のために、命を奪う。正しさが、人間らしさを奪っていく。これが、最も恐ろしい罠です。
もう一つの道
では、どうすればいいのでしょうか。「正しさ」を放棄するのか?何も主張せず、流されるままになるのか?いいえ、違います。もう一つの道があります。
「私はこう思う」と言う
「これが正しい」ではなく、「私はこう思う」。この違いは、大きい。「これが正しい」は押し付けで、「私はこう思う」は共有です。自分の意見を持ちながら、相手にも意見があることを認める。
「あなたはどう思う?」と聞く
自分の正しさを主張する前に、相手の考えを聞いてみる。なぜそう思うのか、どんな経験からそう考えるようになったのか、何を大切にしているのか。相手の「正しさ」の背景を理解しようとする。理解することは、同意することとは違います。
「両方正しいかもしれない」を受け入れる
矛盾する二つの真実が、同時に存在することがあります。あなたの真実と私の真実。どちらも否定せず、両方を認める。その上で、「では、どうすればお互いが大切にしているものを守れるか」を考える。
「正しさ」より「関係性」を優先する
「自分が正しい」ことを証明するより、相手との関係を大切にする。勝つことより、つながること。論破することより、理解し合うこと。これは、弱さではありません。強さです。
日常の中の「小さな争い」
国と国の戦争は遠い話に感じるかもしれません。でも、私たちは日々、小さな争いをしています。「あなたは間違っている」と相手を否定する、「私の方が正しい」と自分を押し通す、「分かってない」と相手を見下す。これらすべてが、小さな争いです。
大きな争いは、小さな争いの積み重ねです。日常の中で「正しさの押し付け」をやめることが、平和への第一歩なのです。
「自分はどうしたい?」との繋がり
「これが正しい」と主張する前に、問いかけてみましょう。自分はどうしたい?相手を論破したい?それとも、理解し合いたい?勝ちたい?それとも、つながりたい?正しさを証明したい?それとも、平和でいたい?
自分が本当に望むものに気づくと、「正しさの押し付け」から降りることができます。
感情を選び直す
「相手が間違っている」という怒りを感じたとき、感情を選び直してみましょう。怒りから好奇心へ(なぜそう思うのだろう?)、軽蔑から理解しようとする姿勢へ、防衛から開放性へ。感情を選び直すことで、争いではなく対話が始まります。
安心を先に感じる
「相手を変えなければ」という不安から、正しさを押し付けてしまいます。でも、まず安心してみましょう。相手が変わらなくても大丈夫、意見が違っても大丈夫、自分の正しさを証明できなくても大丈夫。この安心が、争いを手放す力になります。
平和は、選択
平和は、待っていても来ません。平和は、毎日の選択です。「正しさ」より「理解」を選ぶ、「勝つこと」より「つながること」を選ぶ、「押し付けること」より「聞くこと」を選ぶ。この選択を、今日、この瞬間から始められます。
世界を変える力
「自分一人が変わっても、世界は変わらない」。そう思うかもしれません。でも、違います。あなたが「正しさの押し付け」をやめたとき、あなたの周りから小さな争いが消えます。あなたが対話を選んだとき、その輪は広がっていきます。一人ひとりの選択が、世界を作っています。
最後に
争いは、「悪い人」が起こすのではありません。「自分が正しい」と信じる人が起こすのです。だから、私たちにできることがあります。自分の「正しさ」に固執しない、相手の「正しさ」も認める、押し付けるのではなく対話する。これは弱さではありません。これこそが、本当の強さであり、知恵であり、愛です。


